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西武美術館

「時代精神の根據地として」               堤 清二(財団法人セゾン文化財団 理事長)

現代の美術について考えると、私達はどうしてもその多様性の前に立止らされます。
この混乱は成熟を意味するのか、あるいは頽廢につながるのか、時代の精神を担う才能の欠如
なのか、または分解が現代の様相そのものなのか等々について多くのことが語られてきました。

私達は美術館を設置することによって、そこに一つの方向や公約数的な法則を見出そうとして
いるのではありません。既に数多くの美術館が存在していて、そのなかには博物館として評価
され得るものもあれば、古き良き時代の美意識のモニュメントとしての意義を持っているもの
もあります。
1975年という年に東京に作られるのは、作品収納の施設としての美術館ではなく植民地の収奪
によって蓄積された富を、作品におきかえて展示する場所でもないはずです。それはまず第一
に、時代の精神の據点として機能するものであることが望ましいとすれば美術館はどのような
内容を持って、どんな方向に作用する根據地であったらいいのか。

70年代に私達は、成熟することによって同時に大きな変革を内包せざるを得なかった、いくつ
もの流れを看取しています。そうであるから、多様なままにそれを受け容れることがそのまま
據点としての資格になるのだと思います。その意味では明確な主張や、古典的な特定の主義に
立たないことが美術館にとって必要であるに違いありません。

言いかえれば、美術館それ自体が、たとえば砂丘を覆う砂や、極地の荒野の上に拡がる雲海の
ように、たえまなく変化し、形を変え、吹き抜けた強い風の紋を残し、たなびき、足跡を打ち
消してゆく新しい歩行者によって、再び新しい足跡がしるされるような場所であって欲しいと
考えています。

この美術館が街のただ中に建っているということは、空間的な意味ばかりでなく人びとの生活
のなかに存在することに通じているべきだと思います。ここで例外的に私達が一つの主張を述
べるのは、美術を重要なジャンルとする芸術文化の在り方が、生活と、ことに大衆の生活と
奇妙な断絶の関係を持っているという認識に立っているからです。

自分達の生活意識の感情的表現として美術作品に接するのではなく、海外から指導者によって
もたらされ開示された教養を、礼儀正しく鑑賞するという姿勢で接することが、いかに深く
美意識の閉塞状態とかかわってきてしまったかについては多言を要しません。作品を大急ぎで
ジャンル別に分類しなければ気が済まないという一事をとってみても、百科辞典的な知識を
前提として美術品の前に立つことがいかに多かったかを証明しています。私達がこれから取扱
う作品は、その意味では分類学的な境界を無視していると言えましょう。
その結果として、印刷、映像、生活美術等に、対象が拡がっているという印象を見るひとに
与えることになるかもしれないと思います。ただ多種多様の作品をとおして、常に時代精神の
表現の場であって欲しいと願っています。

しかしこれは考えようによっては最も困難なことなのかもしれないと思います。何故なら時は
常に流れ変化するし、人間は年と共に老い、権威は一度作られるとそれを運営する人々に保守
的な心情を惹き起こすものだから。従って、この美術館の運営は絶えざる破壊的精神の所有者
によって維持されなければならないことになります。創造の土壌としての破壊は、必ず民族的
伝統と生活に根を持った完成のリアリティに憧れていきます。

だからこの美術館の運営は、いわゆる美術愛好家の手によってではなく時代の中に生きる感性
の所有者、いってみればその意味での人間愛好家の手によって、動かされることになると思わ
れます。
美術館であって美術館でない存在、それを私達は“街の美術館”と呼んだり“時代精神の運動
の根據地”と主張したり、また“創造的美意識の収納庫”等々と呼んだりしているのです。

開館の挨拶としては、いささか型破りの、かなり傲慢とも受け取られかねないもの言いになっ
てしまったことをお許し下さい。来館される方々の忠告、指導、感想を伺わせていただくこと
によって、以上のような目標を実現していきたいと願っております。

西武美術館 「日本現代美術の展望」 1975.9.5-14 カタログより


 

 

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